人生に軸ってある?【自分語り】

人生に軸ってある?【自分語り】 雑記
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はじめに

定年間近の会社の大先輩Tさんとサシでスノボに行ってきた。

Tさんは高役職経験者なのにユーモアのある人で、個人的にとても尊敬している。

今回の記事は帰り道にTさんと話した内容で印象に残っている会話をメモ書きのように残そうと思う。

話す前の筆者の状況

24歳で特に目標もなく、惰性で生きている。

小さい頃に想像していた24歳とのギャップに悩んでいるが、何をすればいいかわからない。

そもそも会社が合っているのかもわからない。

人生に漠然とした不安がある。(お金、生きる目的)

帰り道の車中で

Tさんは自分の倍以上生きている大先輩だったので、人生について話していた。

今の仕事、楽しい?

「今の仕事、楽しい?」と。Tさん。

仕事が楽しくて今の会社についたわけではない。”何となく良さそう”と、今の会社を選んだ。

福利厚生もしっかりしていて、給料もある程度ある大企業。

いわゆる安定ルートから外れずに、自分で自分について深く考えることなく生きてきた。

周りが言う「安定」を目指せればいいかな、と。

でも、正直仕事に不安もあった。

現在のプロジェクトはいわゆる炎上プロジェクトで、時間が足りない、お金が足りない、何も間に合っていないが、炎上を抑えようと頑張っているプロジェクト。

穴の開いたバケツに手で水をすくい入れるような仕事だ。

役職者は2年目の自分より早く出勤し、遅く退勤する。
僕は日によって22時まで残る日もあるが、役職者たちが自分より早く帰るのを見たことがない。

もちろん、会社が悪い、と言うよりはプロジェクトやそういった経緯が悪いだけではある。
しかし、自分が同じ年になった時に同じ生活をできるのか?と疑念を感じた。

家族ができたら家族最優先で生きていたい。家族を幸せにするためにお金は必要だが、家族との時間がなければ働く意味がない。

そう考えていた自分は、仕事を続けていいのか不安で仕方なかった。

「楽しくはないです。」と返事した。

指示された作業をこなすのみの仕事。
同じ作業が長く続くことのない今の現場で、慣れてきたら新しい作業、の繰り返し。

いつしか自分は「新しいことを覚えることに喜びを感じる」と言う考え方から「その日を乗り越えるために生きている」と言う状況になっている。

1年目で吸収できることが多かった時は、自分の意思で本を買って勉強をしよう、知識を得て周りよりも歳を進もう、そう考えていた。

しかし今はなんだ。
その日を生きることに精一杯になっている。

資格の取得ついても「今、何も考えていない自分への免罪符」のように考えている。

なんて自堕落な生活なんだ。と気づけた。

自分が楽しいと思える職に就くために転職もアリかもしれない。

少なくとも、行動するか自分の考え方を改めなければ、仕事に満足することはないだろう。

楽しいと感じる瞬間は?

「ゆうき君が、一番楽しいって感じる瞬間ってどんな時?」と、Tさん。

自分が楽しいと感じる瞬間は何だろう。

新しいことができるようになった時?
普段しないことをした時?
趣味に没頭している時?

興味が湧きやすい性格の反面、飽き性な自分を楽しませるには何が良いのか。

何においても「初体験」はとても楽しい。
新しいことを習得する時に、頭を使い、体験してみて、失敗を重ねて成功する。

この過程はすごく楽しい。
成功した時の達成感の気持ち良さは他に例えがないくらいに気持ちいい。

しかし、今の頭ではその「気持ち良さ」を体験し続けれる仕事が思いつかない。
知識取得あるのみだと思う。

自分の軸って何だろう

「そろそろ25歳になるし、自分の軸を決めておいてもいいんじゃない?」と、Tさん。

今までレールが敷かれた上を歩いてきた人生。
高校受験、大学受験や就活を経ていわゆる大企業に就職した。

24年間レールの上を歩いてきた自分にとって「レールから外れること」はものすごく怖い。

転職をして今より条件が悪くなったらどうしよう。

そんなことを考えてしまって転職すらろくにできない。

なら、自分の人生の軸に従って、行動を起こしてみよう。と考えた。

しかし、よくよく考えてみると、レールの上を歩いてきた自分にとって、軸とは「レール」でしかなかった。

できるだけいい大学に入って、できるだけいい企業に就職する。

それだけのために生きてきた。自分に軸なんてなかった。

今の瞬間に死んでも後悔しない?

「今の瞬間に死んでも後悔しない? (後悔)するなら、死ぬまでに何をやっておきたい?」

こんな話は他でしたことはあったが、真剣に向き合ったことはなかった。

「家族を持って、のんびり暮らしたいです。
お金に不安を持つことなく、子供たちとたくさん遊んでくらいしたい。」と答えた。

正直、これさえできれば人生に悔いはないと思っていた。

将来の家族を人生の生きる目標にしよう、と。

「凄いいと思う。
じゃあ、もしその家族が亡くなってしまったら、生きる目的を失うってこと?」と、Tさん。

頭をかち割られたかと思った。

家族ですら想像に難いことなのに、さらに想像に難しい質問を投げかけられた。

屁理屈に近いとも少し感じたが、言っている事に矛盾はない。
長く生きればそうなる事もあるだろう。
定年間際の経験を重ねた方だからこその質問なんだろう。

そして、想像してみると絶望しか残らなかった。
本当にそうなってしまった時、生きる目的を失ってしまいそう。そう感じた。

孤独を感じ、生きる目標を失った自分を想像した。

アドラー先生も言っていたように、悩みの9割は人間関係なんだな、と感じた。
同時に、なぜ他の動物と違ってこんなにも知性を持ってしまったのか。
知性を持たなければ、ただただ子孫繁栄のためだけに生きることができたのに、と遺伝子までも恨みそうだった。

その時決めた。

「せめて、自分の手の届く範囲にいる人だけでも幸せにしよう。」と。

自分が感じる幸せって、他者がいるからこそ感じる幸せも多い。

自分の身の回りの人間が幸せを感じると、自分も幸せになれる。そういう人間でありたい。

まず第一歩として、小さなことからでも自分の周りの人を幸せにしていこう。

人生に軸ってある?:まとめ

話す前後で変わったこと

話す前後で変わったこと

人生に自分なりの目標ができた。
→自分の手の届く範囲にいる人を幸せにする

人生でやりたいことリストが一つ増えた
→悔し涙を流すほど何かに努力する

最後に

ありがたい話を聞いても人生なんて変わりません。

結局、行動を起こした人だけが変われる。

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